《かごしまのニュース》
『東日本大震災から14年 ストリートピアノでつなぐ祈り 鹿児島から始まり 今や全国21カ所』
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東日本大震災から11日で14年です。
県内でも犠牲者の冥福を祈り黙とうが捧げられました。
東日本大震災の被災地では、地震が発生した午後2時46分に被災者や遺族などが黙とうを捧げました。
警察庁によりますと、東日本大震災による死者数は先月末時点で15900人にのぼり、現在も2520人が行方不明となっています。
鹿児島県内でもー。
鹿児島市役所では地震発生時刻に職員が黙とうを捧げました。
鹿児島市は2011年度から2022年度まで職員を被災地に派遣しています。
道路建設課の後藤光佑さんは震災から6年後の2017年4月から1年間、宮城県気仙沼市に派遣され、河川にかかる橋の整備工事に携わりました。
(鹿児島市 道路建設課 後藤光佑 さん)
「毎年派遣された時、出会った職員の方や地域の方のことを思いながら黙とうしている。いざ災害が起きた時に(職員)一人一人動かなければいかないことがたくさんある。(対応に)すぐ取りかかれるようかねてから意識しておかなければと思う」
復興庁によりますと先月1日時点で2万7千人あまりがいまだ避難生活を余儀なくされています。
東日本大震災の翌年、ここ鹿児島から始まった取り組みがあります。
ストリートピアノでつなぐ祈りのハーモニー。
今年も多くの人が被災地への思いを歌に込めて届けました。
被災地、宮城も含む全国12の道府県、21カ所で行われた催し。
鹿児島市の会場には約100人が集まり、黙とうを捧げ、被災地の復興を願いました。
3月11日に合わせて全国で行われるようになったこのイベントは、鹿児島の1人の男性と中央駅前一番街商店街のストリートピアノから始まりました。
発起人は霧島市でお茶屋を営んでいた大坪徹さん。
商店街の活性化につながればと、2011年2月にピアノを設置し、その年の3月12日の九州新幹線全線開通に向け、ストリートピアノでのお祝いイベントを開催しようと、準備していた最中、東日本大震災が発生しました。
翌年2012年、1回目の祈りのハーモニーを開催し、大坪さんが亡くなった後も募金を続け全国各地にピアノを贈り、今や全国21カ所にその輪は広がりました。
11日も商店街にはピアノの音色と歌声が被災地への思いを乗せて響きました。
(訪れた人)
「いつか機会があったら娘を連れて東北に行ってみたい。そこで伝えられることがある。少しでもその地域に私たちも貢献できればいいなと思っている」
(訪れた人)
「苦しい中でも希望を持って前に前に進んでもらいたい」
霧島市溝辺町、祈りのハーモニーの発起人、大坪徹さんの息子、大坪元気さんです。
イベントの開催に尽力した父の徹さんらが関わった初代のピアノが今も大切に保管されていました。
あの日から14年ー。
霧島市でも、11日、ストリートピアノの演奏が披露されました。
(大坪元気 さん)
「(2016年に)父が亡くなった今も支えてくれる仲間と第14回までここで続けてこられた。先人から学んだものを次の世代につないで今後も続けていきたいと思う」
薩摩川内市での集いは今年も、地元の幼稚園など子供たちが多く、約600人が参加しました。
スーパーに設置されているピアノで演奏者も替わりながら童謡「ふるさと」などを披露。
犠牲者を悼むとともに被災地の更なる復興を願いました。
(参加者)
「被災地で大変な思いをした人たちに(ピアノの音色を)届けたいと思っている」
(薩摩川内未来塾ストリートピアノ実行委員会 桑原貴久雄 実行委員長)
「残念ながら私たちはお祈りしかできない。残念だけどこれを続けていきたい」
ストリートピアノの演奏は奄美市でもー。
地域の住民ら約50人が復興への祈りをピアノのしらべに乗せました。
(参加者)
「天災はいつ来るかわからない。奄美でも最近、地震が起きている。よそ事ではない」
奄美市や喜界町では9日未明に、最大震度4の地震が発生。
11日も震度2の揺れが相次いで観測されています。
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